MAGAZINE

【イベントレポート】「耳で読む」を広めて、誰もが当たり前に情報にアクセスできる未来をつくりたいー文化起業家・上田渉

起業を支援する「Startup Hub Tokyo」では、定期的に起業に役立つセミナーやイベントを開催しています。2017年6月29日は「クリエイティブな事業の動かし方 ー文化起業家#06ー」を行いました。

このイベントシリーズでは、「事業を通じて社会に対し新しい市場や価値を創出するだけではなく、新たな文化を提示している起業家」を『文化起業家』と捉え、文化起業家自身が見たい景色や風景について語ります。

今回のゲストは、株式会社オトバンク 代表取締役会長・上田渉さんです。NPO法人インビジブル コミュニケーションディレクター・江口晋太朗さんの進行のもと、「音」が人々にもたらす可能性、そして描いている未来について伺いました。

「聞き入る文化」をつくるオトバンク

上田さんが代表取締役会長を務めるオトバンクは、「音の銀行」をコンセプトに、耳で読む本「オーディオブック」を制作・販売しています。オーディオブックは、目と手を使わず、耳で読む本。

例えば、ビジネスマンが通勤時間中に視聴したり、お母さんたちが子どもを寝かしつけながら聞いたりすることもあるそう。視覚障害がある人々にとっても読むことができる、バリアフリーな本としての機能も有しています。

オトバンクが提供するオーディオブック配信サービス「FeBe」は2万以上のタイトルを配信。現在の利用者数は約22万人と、日本のオーディオブック事業では最大規模を誇ります。

「今の日本社会では、視覚を利用したコンテンツが大量に存在する一方、視覚障害や老衰など受け手の視覚の状況によって、情報格差が生まれる状況でもあるんですね。そこで、『音』という感覚を使うことができるコンテンツが重要視され始めています。誰もがスマホを持っており、オーディオブックを聞くためのインフラが整っているのも追い風になっています」

オトバンクのオーディオブックは、自社内で製作されるものが中心です。出版社から著作権に関する許諾を得て、オトバンクが保有しているスタジオで音声の吹き込みや編集作業が行われているといいます。

「出版社の枠にとらわれないことで、『FeBe』という1つのサービス内で、さまざまな本を楽しむことができます。また、自分たちで制作することによって、より高いクオリティを担保することが可能になっています」

「音」という情報伝達手段を広げたい

上田さんが「音」を使った事業に興味を持つようになった背景には、緑内障で失明したおじいさんの存在がありました。

「僕が一番よく覚えているのは、子どもの頃に見た祖父がテレビの横のソファに座っている光景です。画面には顔を向けず、横のスピーカーから音だけを聞いていたんです。先天的な失明であれば点字を読むこともできますが、年を取ってからだと手の感覚が鈍ってしまい習得も困難です。祖父も、自分で情報を得ることにとても苦労していました」

大学3年生になり進路について考えたとき、脳裏によぎったのは、おじいさんの姿でした。当初は朗読サービスを行うNPO法人の設立も考えましたが、それでは助けられる人の数が限定されてしまう。

上田さんは企業におけるサービスとしての提供に興味を持つようになります。出版社に就職しオーディオブック事業を手掛けることも検討しましたが、どの出版社でも「需要がない」と断られてしまいます。そこで、就職をあきらめ、自ら起業することを決意しました。

「僕の力の源は、『祖父に対して何もできなかったから、代わりに他の人を助けたい』という気持ち。今でもトラブルや、なにか辛いことがあったとしても、そこに立ち返ればすぐに回復できるんです」

理念が人を動かす力になる

「オトバンク」を立ち上げた上田さんでしたが、最初からうまくは進みません。既に販売されていたカセットブックを集めたネット配信サービスを提供しようとしたところ、カセットブックの朗読者から許諾を得ることができなかったのです。しかし、上田さんはここであきらめず、ビジネスモデルを転換。既存のコンテンツを使用するのではなく、自分たちで新たに作る方向へ舵を切りました。

新たなビジネスモデルを軌道に乗せるため通信教育などの音源の制作受注を行う傍ら、周囲の人々に理念をひたすら語り続けたという上田さん。その思いに共感した人々が集まり、それぞれができることを持ち寄り手伝いをしてくれるようになります。

「私は、創業時からずっと『オーディオブックを広げることで、究極のバリアフリーを広げたい、聞き入る文化をつくりたい』と言い続けてきました。結果、この理念に共感してくれた人たちが集まって、どんどん会社として大きくなった。理念は、人々をつなぐ“絆の源”なんです」

そうした中、上田さんはオーディオブックをJALの機内配信コンテンツとして売り込みます。コネクションもない中でしたが、熱意を買われ採用されることに。この機内配信コンテンツの採用をきっかけに、オトバンクは数々の出版社や企業と連携できるようになっていきました。

事業の軸は「ロマンとそろばん」

どんなに厳しい状況に直面しても、あきらめることなく事業を進めてきた上田さん。事業の軸は、「ロマンとそろばん」にあると語ります。

「ロマンは理想の社会像、そろばんは会社の利益です。経営が厳しいときも、ロマンがあれば前向きに頑張れます。ただロマンだけでは長期的に続けていくことができないので、そろばんも大事になる。例えば主要メンバーが離脱しなければならなくなってしまったような時も、そろばん勘定が合っていないプロジェクトだと解散してしまいますが、利益がきちんと出ていれば、他の人と交代してもそのプロジェクトは続けることができます」

ここで江口さんは、上田さんに一つの疑問を投げかけました。

「自分で事業を立ち上げた後、あまり儲からない時期が続くと、時にはそろばんを優先してロマンを求められなくなるときもあると思います。上田さんはロマンとそろばんのバランスをどのように取っているんでしょうか」

上田さんは少し考えた上でこう答えました。

「ライフステージに合わせて、自分が理想とするそろばん勘定は変化します。例えば、子どもができてロマンばかりを優先できないという時期もある。しかし、僕は、そろばん勘定が少なくなっても、自分自身が納得が出来る限りはロマンを守り続けようという考え方をしています。どうしても合わなくなってしまったら、その都度考える」

さらに上田さんは、「自分たちはただ事業を大きくしたいわけではありません」と続けます。

「僕たちは、オトバンクを通じて文化を作りたいと思っています。市場に大量のお金を入れれば文化が広がるかというと、そういう訳ではない。だから、多少のそろばん勘定の変化にはとらわれず、腰を入れてじっくり取り組むしかないと腹を括っています」

「本を楽しむ」経験を提供する

上田さんのお話の後、質疑応答の時間へ移ります。

「FeBeの会員数があまり伸びなかった時期には、どんな対策をされていたのか」という会場からの質問に、上田さんは「ひたすらコンテンツを作っていました」と話しました。

「本棚がスカスカの書店では、本を買いたいとは思いませんよね。2007年のサービス開始当初、FeBeには1000タイトルほどしかコンテンツがありませんでした。そこでビジネス書を中心に、とにかくタイトル数を増やしました。今はビジネス書であれば有名作品は揃い、欲しい本が見つからないことはほぼない状態をつくることができています」

視覚障害者とお仕事をされている方からは、「障害者自身は国会図書館に行けば無料で音声本を借りることもできる。既に音声コンテンツがあふれている中で、FeBeが選ばれる理由は」という質問がありました。

「僕たちは、単に情報伝達手段を提供するのではなく、『本を味わう』や『楽しむ』という体験を提供したいと考えています。そう考えると、ボランティアベースのコンテンツではクオリティの面で限界が出てきてしまう。オトバンクではクオリティが高いものを出すことにこだわり、『読書体験』ではなく『読者体験』を充実させたいと考えているんです」

『耳で読む』という選択肢が当たり前にある世界をつくりたい

上田さんは、今後オーディオブックを社会にさらに広げ、障害や健常に関わらず誰もが聞けるようにしたい、そのためにまずは目が見える人々が、オーディオブックを当たり前に知っている状況を作りたいと話します。

「障害者を支援する家族や友人が誰もオーディオブックを知らなければ、障害者がその情報にたどりつくことは困難です。僕たちが目指すのは、本を読む際の選択肢に『耳で読む』が当たり前にある世界。「音」がもたらす体験を誰もが享受できて、情報格差をなくす。『聞き入る文化』が根付いた情景を僕は見たいですね」

近年、高齢化に伴って白内障や緑内障になる人々が急増するなど、誰でも視力が奪われる可能性が身近に存在するようになっています。つまり、誰でも情報強者から弱者に転換することがあるということ。

音という感覚を使えば、視覚のみに頼ることなく情報に接する可能性を増やすことができるはず。『聞き入る文化』が生み出す、より多くの可能性にあふれた社会が実現する日を楽しみにしたいと思います。

Startup Hub Tokyoでは、起業を検討している方向けに知識やノウハウを提供するイベントを定期的に開催しています。起業を検討している方は、ぜひ足を運んでみてください。

・ゲスト

上田 渉 株式会社オトバンク 代表取締役会長

東京大学経済学部経営学科中退。複数NPO・IT企業の立ち上げ・運営を経て、2004年オトバンクを創業し、代表取締役に就任。2007年オーディオブック配信サービス「FeBe」を立ち上げる。出版業界の振興と究極のバリアフリーの達成を目的に、オーディオブックを文化として浸透させるべく良質なコンテンツを出版各社と共に創出するため、日々奔走している。

著書に『脳が良くなる耳勉強法』ディスカヴァー・トゥエンティワン『勉強革命』マガジンハウス『ノマド出張仕事術』実業之日本社『20代でムダな失敗をしないための「逆転思考」』日本経済新聞出版社がある。

・モデレーター

江口 晋太朗 NPO法人インビジブル コミュニケーションディレクター / TOKYObeta Ltd.代表

編集者、ジャーナリスト。1984年生。福岡県出身都市政策や地域再生に関わる新たな仕組みや循環のためのコンセプト設計、プロトタイプ開発や研究リサーチに取り組むTOKYObeta Ltd.代表。NPO法人インビジブルでは、コミュニケーションディレクターとして活動。他にも、「マチノコト」共同編集、NPO法人マチノコト理事、NPO法人日本独立作家同盟理事などを務める。ネット選挙の解禁に向けて活動したOne Voice Campaign発起人として、法改正に向けたキャンペーン活動に従事。著書に『日本のシビックエコノミー』フィルムアート社『ICTことば辞典』三省堂『パブリックシフト ネット選挙から始まる「私たち」の政治』ミニッツブックほか。

執筆:原田恵inquire

カメラマン:馬場加奈子

PAGE TOP